河野純喜の出身地はどこ?
河野純喜は1998年1月20日生まれであり、現在26歳です。
河野純喜の出身地は、奈良県生駒郡平群町です。
河野純喜の家族構成
- 父親
- 母親
- 2歳年上の兄
父親は身長が高く声が大きい
河野純喜が少年サッカーをしていた頃、応援に来ていた父親の声が大き過ぎました。
応援が熱心過ぎたため、審判からイエローカードを貰ってしまったのです。
ちなみに父親は、JO1の初ライブを見に来てています。
母親は料理が得意
母親は、河野純喜がお腹を空かせて帰宅すると「10分で作るから待ってて」と言って、様々な料理をつくってくれました。
また母親はK-POPアイドルのSUPER JUNIORが好きであり、自宅ではK-POPが流れていたという話があります。
河野純喜は、自然とK-POPに親しんでいたのかもしれませんね。
河野純喜には兄がいる
河野純喜の兄は2歳年上ですが詳細は分かっていません。
河野純喜の卒アル・学生時代の写真はある?
幼少期の河野純喜
幼少期の河野純喜は、ふっくらとした頬でTシャツ短パンで短髪。
また子供の頃は活発だったそうです。
小学生の頃の河野純喜
小学校の頃と考えられる、河野純喜の画像です。
幼少期の頃に比べると、顔の輪郭がすっきりとしているでしょうか。
何かを見つめる河野純喜
何かを見つめる河野純喜です。
何を見ているのか、気になりますね。
高校時代の河野純喜
集合写真に写る高校時代の河野純喜です。
堂々と中央に写っていますね。
大学時代の河野純喜
大学時代の画像も出回っています。
サッカーをする姿がかっこいいですね。
河野純喜の出身大学は?
同志社大学政策学部・政策学科を卒業
学校名 | 同志社大学 |
住所 | 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町601番地 |
開校日 | 1875年創立 |
河野純喜の所属学部 | 政策学部 |
河野純喜の入学時期 | 2016年 |
河野純喜の卒業時期 | 2020年 |
河野純喜の大学時代
サッカーの全国大会に出場
大学時代の河野純喜は、サッカーチーム・法隆寺FCに所属し全国クラブチーム選手権全国大会に出場しています。
ポジションはミッドフィルダーであり、シックスパックの筋肉を持ち合わせています。
それだけでなく、河野純喜はフィットネスクラブやイベントでアルバイトをしていました。
彼女がいた
大学生だった河野純喜は、七原月乃という女性と付き合っていました。
七原月乃は、同志社大学のミスコンで準グランプリを獲得しています。
河野純喜と七原月乃はゼミで一緒になり、2年ほど交際をしていました。
しかし4年生の頃に、河野純喜がオーディションを受けるため別れることになったのです。
留学経験がある
大学在学中の河野純喜は、フィリピンに語学留学した経験があります。
オーディションを受ける
高校時代から歌手を志していた河野純喜は、大学生の頃も自己流で練習をしてオーディションを受けていました。
2019年に、河野純喜はオーディション番組『PRODUCE101 JAPAN』に参加しました。
『PRODUCE101 JAPAN』では、與那城奨や安藤誠明と共にシックスパックスを結成しています。
河野純喜はダンスが未経験だったことから、ダンスに関しては苦労をしました。
それでもオーディションでは最終9位となり、『JO1』でデビューすることが決まりました。
大手企業の内定を辞退していた
河野純喜は、オーディションへの参加と並行して就職活動も行っていました。
なんと河野純喜は、楽天の内定を辞退していたのです。
内定を辞退していることは、2020年7月31日放送のトークバラエティ『新・日本男児と中居』で明かされています。
楽天は、日本人社員であっても英語でのやり取りもあり、TOEIC800点が基準です。
河野純喜はフィリピンへの留学経験もあるため、英語力が高いことがうかがえます。
河野純喜が内定を辞退したのは、『JO1』でのデビューが決まったことが理由かもしれません。
河野純喜の出身高校は?
奈良県立郡山高等学校を卒業
学校名 | 奈良県立郡山高等学校 |
住所 | 奈良県大和郡山市城内町1-26 |
開校日 | 1893年 |
河野純喜の入学時期 | 2013年 |
河野純喜の卒業時期 | 2016年 |
河野純喜の高校時代
友達を多くつくりたかった
河野純喜は、志望校であった郡山高等学校に合格できたことで、興奮しました。
入学してからは、友達をつくるために1年1組から6組まで、1クラスずつ歌を披露して回ったエピソードがあります。
サッカー部で活躍
サッカー部の練習が終わると、河野純喜はコロッケ屋で買い食いをしていました。
河野純喜は2年生だった2014年に、第93回全国高等学校サッカー選手権大会に出場しています。
郡山高等学校が一度のみ全国高等学校サッカー選手権大会に出場した際に、河野純喜がメンバーとして出場していたのです。
1回戦は東海大山形高等学校に勝利したものの、2回戦において大分県立中津東高等学校に敗戦となりました。
高校生の頃から歌手になりたかった
河野純喜は、高校生当時から歌手を目指していました。
高校時代からオーディションに参加していましたが、合格には至りませんでした。
高校3年生になり、『今からレッスンなんて無理やな…』と考え、大学受験をしたのです。
河野純喜の出身中学校は?
平群町立平群中学校を卒業
学校名 | 平群町立平群中学校 |
読み方 | ヘグリチョウリツヘグリチュウガッコウ |
住所 | 奈良県生駒郡平群町福貴1301 |
開校日 | 1947年4月22日 |
河野純喜の入学時期 | 2010年 |
河野純喜の卒業時期 | 2013年 |
河野純喜の中学校時代
「河野純喜カッコよすぎ!」と書かれる
中学時代の河野純喜は、ヤンキーな女子の交換ノートを拾い読んでみると、そこには「河野純喜カッコよすぎ!」と書かれていたのです。
このノートを見たことを機に、河野純喜はヤンキー女子のことを意識するようになったそうです。
中学時代もサッカーをやっていた
河野純喜は、中学時代にもサッカーをやっていました。
河野純喜の出身小学校は?
平群町立平群小学校を卒業
学校名 | 平群町立平群小学校 |
読み方 | ヘグリチョウリツヘグリショウガッコウ |
住所 | 奈良県生駒郡平群町吉新2-2-13 |
開校日 | 2014年4月1日 |
河野純喜の入学時期 | 2004年 |
河野純喜の卒業時期 | 2010年 |
平群町立平群小学校は、平群西小学校と平群東小学校が合併し2014年に開校しています。
河野純喜は、2004年から合併前の平群西小学校と平群東小学校のどちらかに通っていた可能性があります。
河野純喜の小学校時代
ランドセルは水色
河野純喜は水色のランドセルを選んでいました。
最近は様々なカラーのランドセルが販売されており、男子は黒、女子は赤という区別なく自身の好きなカラーを選べるようになっています。
サッカーを始めている
河野純喜は、小学校の頃からサッカーをしていました。
11歳だった2009年には、生駒選抜(奈良市長杯)の選抜メンバーに選ばれたのです。
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