今回は、小栗旬の学歴や学生時代についてまとめました。
小栗旬の卒アル・学生時代の写真はある?
小栗旬は小学校6年生の時に新聞の隅にあったオーディションに応募して俳優の道を歩み始め今では日本を代表する存在になっています。
小栗旬の卒アル写真
この写真は、芸能界を目指しオーディションを受けることを決めた小学校6年生の卒業アルバムの小栗旬の写真です。
面影はそのままで幼く可愛らしい男の子といった印象です。
小栗旬の出身高校は?
小栗旬は「明星学園高等学校」に入学していました。
「明星学園高等学校」は1924年(大正13年)に設立された歴史深い私立学校で偏差値は59です。
学校理念は‥
- 個性尊重
- 自主自律
- 自由平等
個人を尊重し、自立を校風としており芸能活動との両立も認めているため、小栗旬にとっても通いやすい学校だったと考えられます。
小栗旬の高校時代
小栗旬は高校時代どんな生活を送っていたのかまとめます。
小栗旬は野球部
小栗旬は高校に進学すると野球部に所属し、1番打者のセンターとして活躍していて2009年に出演した、はなまるマーケットのトークコーナーで野球部でのことを次のように語っていました。
「真面目に野球に打ち込んではいなくて、スケボーやアルバイトばっかやってました」と。
ちなみにアルバイトはガソリンスタンドだったそうです。
小栗旬はモヒカンでだった
高校に進学後野球部に所属していた小栗旬でしたが髪の毛は金髪で、その後高校2年生の時にはモヒカン、眉毛も全部剃って登校しました。
それを見た小栗旬の父親は「お前は馬か!」と言って髪の毛を掴んで引きずり回し激怒したそうです。
小栗旬は高校中退
自由を尊重する校風の学校でしたがさすがに自由すぎるスタイルで学園生活を送っていた小栗旬ですが、どんどんお仕事が忙しくなり、モヒカン事件後くらいに1年間の休学届を出しました。
休学後も仕事は忙しくなる一方で結局、小栗旬は明星学園高等学校を中退してしまいました。
小栗旬の出身中学校は?
次に小栗旬の出身中学校は小平市立上水中学校を卒業しました。
小平市立上水中学校は1975年に創立された学校です。
教育理念は‥
- あたりまえのことを
- バカにしないで
- ちゃんとやれる人こそ
- できるひと
小栗旬の中学校時代
中学生の頃にはお仕事を始めていた小栗旬は仕事で学校を休むこともしばしばあったそうです。
小栗旬はイジメられていた
そのせいかクラスで浮いた存在となりクラスメイトから無視をされたり、給食を机の中に入れられたり、カバンをトイレに隠されビショビショにされたりなどそれはそれは酷いイジメを受けていました。
イジメられるようになった原因はテレビ出演が増えたからで、それを生意気だと妬んだ生徒がいたからでした。
小栗旬は内向的な子供だった
イジメられ、そのうち仕事がない日にも学校に行くことができなくなり、とうとう不登校になってしまったそうです。
もともと引っ込み思案で内向的な性格だったためイジメに向かっていくなんて無理だったと当時を振り返り、最終的には中学校の卒業式にも参加できなかったそうです。
ちなみにこのときの反動で、高校に進学すると虚勢を張るようになってモヒカンや金髪といった行動になったと考えられます。
小栗旬の出身小学校は?
小栗旬は小平市立小平第三小学校を卒業しています。
明治13年に設立され昭和16年に現在の名称になったこちらも歴史のある学校です。
教育理念は‥
- よく聞き、よく考え、よく判断し自ら行動できる子
- 互いの立場や相手の良さを認め合う思いやるのある子
- 健康でいきいきと活動できる子
小平市立小平第三小学校から、小平市立上水中学校を卒業していることから小栗旬の地元は東京都小平だということになります。
小栗旬の小学校時代
小学校6年生で芸能界に行くことを決めた小栗旬の小学校生活は次のとおりです。
小栗旬はお笑いが好き
小栗旬はお笑いが大好きな小学生で当時はダウンタウンの大ファンだったそうで、芸人としての仕事はもちろんドラマに出演する姿を見てカッコイイと思っていました。
このころの小栗旬はファンになる人の仕事に憧れる傾向にあったため、芸人の仕事にも憧れを持っていたそうです。
ちなみにカッコイイと思ったすべての仕事は「俳優になれば役としてできるんだ」と思ったので俳優になることを決意できたそうです。
小栗旬は体が小さかった
小栗旬は今では高身長でガッチリとした体格ですが小学生の頃、体がとても小さく運動は苦手でした。
地域の野球チームに所属していましたが練習や試合のある土日には「雨降れ!!」と願うくらい出席したくなかったそうです。
なぜなら左利きだったためポジションはファーストでしたがエラーが多くそのたびにみんなから責められていたからでした。
以上、小栗旬の学歴や学生時代に関するまとめでした。
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