金城碧海の出身地はどこ?
金城碧海は2000年5月6日生まれであり、現在24歳です。
金城碧海の出身地は大阪府藤井寺市です。
金城碧海の家族構成
- 母親
- 1998年生まれの姉
- 2002年生まれの弟
金城碧海は母子家庭
映るたびに着実に爪痕を残してくれる碧海よ…お母さん、あなたは最高の教育者です。#PRODUCE101JAPAN#金城碧海 pic.twitter.com/urb2c5Lfbe
— すー@ (@suu_jp_zatsu) December 8, 2019
金城碧海は、母親に育てられました。
なお名前の碧海(スカイ)は、沖縄出身である父親が付けてくれたという話があります。
名前は、父親が沖縄の海と空を見て思いつきました。
『静かな海には空が映る』という意味から、紺碧の碧と海で碧海と命名されたのです。
家族を支える長男として、金城碧海は電球の交換や家具の組み立てなど、様々な家事を担っていました。
姉の子供を可愛がっている?
JO1の動画で『必要としてもらえるのであればどこへでも飛んでいきます!』というものが公開されています。
その中で金城碧海は、とある母親の代わりに子供たちの面倒を見ているのです。
子供たちへの接し方や話し方から、きっと姉の子供のことも可愛がっているのだろうなと想像されます。
動画の感想については、ファンは「碧海のリアコ勢これで増えたでしょ」という声まであります。
母親にオーディション参加を反対されていた
金城碧海は母親のものまねを得意としており、母親のことを現在もママと呼んでいます。
母親は、金城碧海が『PRODEUCE101 JAPAN』に参加することを反対していました。
金城碧海本人は、高校卒業後にフリーターをしながら将来の目標を模索していました。
高校卒業から1年ほど後に、オーディションへの応募を決意したのです。
しかし母親からは「現実を見ろ」と言われてしまいます。
母親には分かってもらえなかったものの、金城碧海は自分が変われば人も変わるという思いで頑張ってきました。
努力の甲斐がありJO1となった現在は、母親も応援をしてくれています。
金城碧海の卒アル・学生時代の写真はある?
幼少期の金城碧海
まだ金城碧海が小学校に進学する前でしょうか。
幼稚園の頃は、園舎の屋根の上を登っていたとのエピソードがあります。
仲間と写る金城碧海
高校生の頃でしょうか。
女子に多く囲まれていますね。
ダンスを披露した時の金城碧海
高校の文化祭でダンスを披露した時のものと考えられる、金城碧海です。
どういったダンスだったのか、気になりますね。
高校の卒業式の際の金城碧海
高校の卒業式での写真と考えられます。
高校卒業時には、パーマをかけていたようですね。
金城碧海の出身高校は?
大阪府立松原高等学校を卒業
学校名 | 大阪府立松原高等学校 |
住所 | 大阪府松原市三宅東三丁目4番1号 |
開校日 | 1974年1月1日設立 |
金城碧海の所属学部 | 総合学科 |
金城碧海の入学時期 | 2016年 |
金城碧海の卒業時期 | 2019年 |
金城碧海の高校時代
帰宅部だった
高校時代の金城碧海は、部活に入っていませんでした。
また勉強ができなかったといい、「ほとんどはテストの前の日に教科書やノートをバーッと見てやってました」と語っています。
要するに、テストの際には一夜漬けをしていたということです。
ニックネームは『王子』
高校時代の友人たちからは王子と呼ばれており、高校3年間は彼女をつくらずに片想いをしていたとのエピソードがあります。
近寄りがたい雰囲気はあったものの、優しい口調において後輩に対して男女問わず接していたとの話もあります。
そうしたことから、カッコいいと噂になっていたのでした。
文化祭でダンスを披露
金城碧海は高校時代から、ダンスを独学で学んでいました。
高校生の頃に、文化祭でダンスを披露したことがあります。
ゲーム好きだった
金城碧海は熱心なゲーム好きであり、特にファミコンにハマっていました。
また高校生だった金城碧海は、警察官に憧れていたという話があります。
卒業後は解体作業員をしていた
高校を卒業した後の金城碧海は、フリーターとして解体作業員をしていました。
『PRODUCE 101 JAPAN』に参加
2019年に、19歳で『PRODUCE 101 JAPAN』に参加しました。
サバイバル形式で行われるオーディションであり、ダンスを専門的に習ったことのない金城碧海は苦労をします。
しかしファイナリストとなり、最終的に10位となり見事デビューを掴みました。
金城碧海の中学校時代
藤井寺市内の中学校に通う
金城碧海は、藤井寺市内の中学校に通っていたものと考えられます。
どの学校なのかは判明していませんが、市内には中学校が3校あります。
そのため、
- 藤井寺市藤井寺中学校
- 藤井寺市立道明寺中学校
- 藤井寺市立第三中学校
のいずれかに通っていた可能性があるのです。
サッカー部だった
中学生だった金城碧海は、サッカー部に所属していたという話があります。
ただサッカーに関するエピソードは見受けられません。
金城碧海の小学校時代
空手をやっていた
金城碧海は、小学4年生から6年生まで2年間にわたり空手を習っていました。
2年間しかやっていないにも関わらず、金城碧海は空手の黒帯を取得しています。
また『PRODEUCE101 JAPAN』では、少しだけ空手の腕前を披露していました。
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