Kの出身地はどこ?
K(本名 古賀佑大)は1997年10月21日生まれであり、現在27歳です。
Kの出身地は、千葉県柏市です。
Kの家族構成
- 父親
- 母親
- 1991年生まれの姉
- 1993年生まれの兄
家族中は良い?
Kはデビュー発表の際に「家族に感謝を伝えたい」と目頭を熱くしながら話していました。
Kは、家族との仲がいいことがうかがえます。
Kは末っ子
Kには1991年生まれの姉と、1993年生まれの兄がいます。
Kは3人兄弟の末っ子だということです。
Kの卒アル・学生時代の写真はある?
高校時代のK
高校で陸上をやっていた頃のKです。
優勝カップらしきものを手にしていますね。
Kの出身高校は?
流通経済大学付属柏高校を卒業
学校名 | 流通経済大学付属柏高校 |
住所 | 千葉県柏市十余二1番地20 |
開校日 | 1985年4月 |
Kの入学時期 | 2013年 |
Kの卒業時期 | 2016年 |
流通経済大学付属柏高校は、Jリーグ・鹿島アントラーズ所属であるDF関川郁万といった、多数のサッカー選手やラグビー選手を輩出しています。
Kの高校時代
陸上に打ち込む
Kは高校に、陸上のスポーツ推薦で入学しました。
高校時代のKは、陸上部で練習に励んでいました。
鈴木塁人(青山学院大学に進学後、箱根駅伝などで活躍)は、陸上部の同期でもあります。
駅伝大会で主力として活躍したKは、5000メートル14分台というタイムであり、関東の1位になったことがありました。
高校3年生の時に出場した男鹿(おが)駅伝大会では、Kが優勝を果たしています。
宿舎生活を送る
高校時代のKは、自ら望んで宿舎生活をしていました。
マラソンに集中したくて、20人一部屋で生活をする過酷な環境において選手生活をしていました。
K自身にとっては、想像よりも大変ではあったものの、人が好きであり面白かったといいます。
夏休みになると合宿をしましたが、毎朝起きて15kmを走り、夜は10kmずつ3回走りました。
Kは、宿舎生活を選んだことについて「厳しくてつらい環境で一つのことだけに集中したくて、わざと宿舎に入った」と述べています。
宿舎では身の回りの全てを自身で行う必要があったため、料理も行うようになりました。
宿舎では団体行動も多かったことから、全体を見る習慣や自身を客観的に見る習慣が養われたといいます。
マラソン選手になりたかった
高校生だったKは、マラソン選手になることが夢でした。
Kが小学生の頃から夢だったという大学に、推薦入学で進学することも決まっていたのです。
進学が決まっていた大学の名称は不明ですが、箱根駅伝に出場するような大学なのかもしれません。
ところがKは、どうしてもダンスの道に進みたいと考え、マラソンは断念しています。
マラソンを断念したことに、監督からは怒られ両親は泣いたのでした。
なお青山学院大学の駅伝部・原晋監督もKに注目しており、「取りたい選手だった」と述べていたほどです。
アーティストの夢を見る
Kは17歳だった2014年に、ブルーノ・マーズのスーパーボール公演を見たことで、アーティストを夢見るようになりました。
LDHで練習生となる
高校を卒業した後のことですが、Kは2017年から1年LDHの『EXPG STUDIO』で練習生をしていました。
練習生だった頃には、EXPGの公式会報紙にも実名と写真が掲載されています。
Kは、『EXPG STUDIO』東京校の特待生でもありました。
Kの出身中学校は?
江戸川区立二之江中学校を卒業
学校名 | 江戸川区立二之江中学校 |
読み方 | エドガワクリツニノエチュウガッコウ |
住所 | 東京都江戸川区春江町5丁目3番1号 |
開校日 | 1978年4月1日 |
Kの入学時期 | 2013年 |
Kの卒業時期 | 2016年 |
Kの中学校時代
中学でも陸上をやっていた
中学生だったKは、陸上部で活躍していました。
中学生の頃も、長距離を専門にしていたとの話があります。
Kの小学校時代
出身小学校は不明
Kに関しては、卒業した小学校が明らかになっていません。
地元江戸川区内にある公立校を卒業したものと考えられます。
例えば、
- 江戸川区立二之江小学校
- 江戸川区立二之江第二小学校
のいずれかを卒業した可能性があります。
踊りを習っていた
子供の頃のKは、バレエや日本舞踊を長く習っていました。
踊りを習っていたこともあり、ダンスでは体のラインを美しく魅せることを意識しているといいます。
水泳を習っていた
Kは小学生の頃に水泳も習っていました。
選手育成組の水準となるほどに上達したものの、後に水泳はやめてマラソンのみに集中しています。
そのため、Kは小学生の頃には既にマラソンを始めていたことが分かります。
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